いまや彼の人生のほとんど大半は、ディスクの中に転送されてしまっている。
「過去の記憶と記憶が結びつき、思いもよらなかった『気づき』が起きるときがある」と美崎さんは言っている。
過去の経験を何度も繰り返し振り返って見ていると、過去から現在、未来へと続く時間の流れが解体され、時間感覚が消滅していくような不思議な感覚に入っていくのだという。
美崎さんの試みと同じような実験は、アメリカでも行われている。
これらのプロジェクトは総称して、「ライフログ」(人生の記録)とも呼ばれている。
自分の人生が、どれだけデジタルに転写できるのか?デジタルに転写された人生は、イコール自分となるのか?もしデジタルコピーの技術がどんどん進化していって、人間が外界から取り入れた五感すべてをデジタル化できるようになったとしたら、そのデータは自分をそのまま表現したものになるのか?そうだったらそのデータに転写されない「自分」には何が残っているのか?ライフログには、人間の生き方の根幹に影響を与えるような何かが秘められているようにも思えるのだ。
そしてこれらのライフログが、すべてインターネット上でグーグルによってデータベース化されていけば、どうなるのだろう。
「二週間前に家族で食べた夕食のメニュー」「三十年前、妻と結婚前に交わした手紙の数々」「一年前、友人と遊びに行った海岸で見た夕焼け映像」といったものが、グーグルの検索エンジンによって瞬時にデータベースから取り出せるようになる。
これは新しい世界の幕開けである。
そして同時に、われわれが想像もしていなかったようなコントロール社会にもなる可能性がある。
おそらくこうしたデータベースが構築されるまでには、さまざまな紆余曲折があるだろう。
二〇〇五年四月に施行された個人情報保護法の観点から言えば、パーソナルなデータがいたずらにインターネット上のデータベースに格納され、それが本人以外に再利用されてしまうことに対しては大きな問題が生じるだろう。
さらにもうひとつの大きな問題は、「グーグルから排除されることの恐怖」だ。
グーグルがすべてのデータベースを支配し、人々の情報やコンテンツのやりとりをつかさどるようになってしまうと、グーグルは巨大な社会的基盤(インフラ)と化す。
それはつまり、きわめて公的な機関になっていくということでもある。
しかしグーグルという企業に、その覚悟があるかどうかと言えばーかなり疑わしい。
ひとつのケースを紹介しよう。
日本のインターネットの世界で、「グーグル八分」という言葉で呼ばれるようになった有名な事件である。
登場するのは、訪問販売によってウエディングドレスや宝飾品を販売しているA社という企業である。
一九九二年に創業され、社員数は約二百人。
年商は九十億円近くに上る。
この企業への批判がインターネット上で突如として巻き起こったのは、二〇〇二年六月のことだった。
とある匿名掲示板で「悪徳商法ではないか」「かなり怪しい勧誘をしている」といった書き込みが盛んに行われるようになったのである。
この動きに対し、A社の側もすぐに反応した。
掲示板を見て動揺する社員が現れ、顧客からの問い合わせやキャンセルも増えだしたことから、「看過できない」と判断し、運営者に対して書き込みの削除を求めたのである。
これに対し、掲示板の管理人は別に自分が運営している「悪徳商法マニアックス」(以下、要マニ)というホームページに、「A社より削除依頼が来ました」と書き込んだ。
悪マニは悪徳商法に関する情報の集積地であり、悪徳商法対策の中心的存在として知られるサイトである。
管理人はボランティアでこの有名なサイトを運営しているネット社会の著名人だ。
損害賠償請求などの民事訴訟を起こすとともに、名誉毀損で京都府警に刑事告訴も行った。
そしてA社は同じ時期、グーグルに対しても、次のような依頼メールを送ったのである。
「慧マ二のA社に関するホームページの記事を、グーグルの検索結果から削除してほしい」この時期、グーグルで「株式会社A社」と検索すると、検索結果ランキングの上位はずらりと悪マニをはじめとする掲示板が占め、A社のホームページの情報は下位に追いやられて℃まっていたからだった。
グーグルはA社の要請に対して、対象の検索言語、対象の検索キーワード、誹諌中傷にあたると思われる箇所、その詳しい異体的内容、氏名・住所・メールアドレスーなどを再度送信するように求め、そして内容を確認した上で、悪マニを検索結果から排除する措置を取ったのである。
「弊社ではGoogleインデックスに表示されるドメインが、登録されている国の法律に従っていることを確認するよう努めています。
弊社では、法律で公認されているコンテンツを削除すること及び情報アクセスの制限を行っておりません。
しかしながら、特定のページのコンテンツが日本の法律に違反していると判断された場合、そのページを訂正を記載した署名入り文書を弊社法律部に提出していただく必要があります」「この度ご指摘になったページは、日本の法律上、名誉毀損罪(刑法一三〇条)及び営業から削除させていただきました。
何卒ご了承いただきますようお願いいたします」しかも削除されたページは、A社関連の記事だけではなかった。
悪マこのホームページ全体が対象となり、グーグルの検索にいっさい引っかからなくなってしまっていたのである。
「グーグルという企業がここまで大きくなってきた以上、そうした要請に負けるというのはある程度は仕方ないのかも知れないが、もう少し『芯』を持っていただければと思う。
グーグルはこれまで『検索結果には手を加えない』と言ってきただけに、今回の削除はユーザーに対する欺瞞ではないか。
仮にもしグーグルが『削除もあり得ます』と公にしたとすれば、少しは軽減されるかもしれないがしかし、それでもすべてが許されるわけではないだろう。
グーグルは私企業とはいえ、通信会社やマスコミと同じように公共サービス、公企業に近い立場にいる会社ではないかと認識している。
グーグルは検索エンジン業界の中でほぼ独占に近い状態だし、自社がそういう企業であるという自覚をきちんと持ってほしいと思う」これに対して、筆者が当時取材したグーグル日本法人のセールス&オペレーションディレクター、佐藤康夫氏はこう答えている。
「サービスの運営に関しては米国本社の管轄になるため、日本法人の守備範囲外になっている。
それを前提にお話しすることになるが、まず大前提としておきたいのは、グーグルはあくまでユーザーにとって正しい検索結果を提供するのが最大の目的であるということ。
このためアルゴリズムクラッカーのように、ユーザーに誤った検索結果を見せてしまうような行為は厳しく排除している。
それと同様、ユーザーに悪い影響を与えたり、犯罪につながったり、あるいは法律違反になるようなものについても削除する場合がある。
削除については本来、その対象サイトの運営者と話し合っていただくのが第一義だが、それではとになると患う。
ただ今回のケースについては、かなり微妙な問題もある。
本社とも相談し、議論を続けていかなければならないと思っている」事件から二年以上が経つにもかかわらず、依然としてグーグルの検索結果からこの事件を、だれが「グーグル八分」と呼び出したのかはわからない。
しかし事件の本質をきわめてよく表現していると言える。
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